2010年03月09日

人生いろいろ

次の公演は習志野でニューフィル千葉との公演、飯森さんと久しぶりの共演なので気分的に盛り上がっている。ふと自分の人生を振り返った時、もう45歳を迎えていることを改めて思う。果たして僕はこの45年間、歌い手を志してから少なくても15年の間何をやってきたのか?人に勇気を与える歌、生きる喜びを感じてもらう機会、涙を流すカタルシス。さて僕は社会にどんな役に立っているのであろうか。そう思うこと自体おこがましいのであろうか。目の前に自分で課題を考え、それをひとつずつクリアーしてゆく、その繰り返しはルーティンワークになってはいまいか?この世に生きている人間と生かされている人間がいるのだとしたら僕はどちらなんだろう。出口の見つけにくい命題を思いながらもともかく毎日を悔いの無い様に生きてみることが肝心と気がつく。信長の時代なら後5年、僕はいったいなにが残せるのだろうか?

2010年02月23日

忠臣蔵有難うございました!

3日間連続公演の「忠臣蔵外伝」にたくさんの方のご来場有難うございました。駆け足の公演で、過ぎてしまえばあっという間でしたが、それだけにかかわるすべての人が集中した、良いプロダクションでありました。特に綾衣役の佐藤しのぶさんは、いつもそうでいらっしゃるのですが今回もそれは素晴らしい集中力で、やはりトップに立ち光を放ち続ける方の「凄み」を感じさせていただけました。このように何かを勉強させていただける公演に参加させていただけるのは発展途上の人間において本当に得がたい素晴らしい体験となります。これから4月まで、春のリサイタルシリーズへと続きますが、今回培った集中力を応用して、素晴らしき公演となるよう準備いたします。皆さま会場でお会いしましょう!

2010年01月23日

忠臣蔵稽古始まる!

三枝先生の作品でもきわめて難しいと評判の「忠臣蔵」。今回は外伝として生まれ変わりました。しかし難しさには変わりない。この中から情緒を汲み取って皆さんに伝えたい。伝えなければならないことがいっぱいあるのです。毎日の練習がある意味楽しみです。がんばらなくては!

2010年01月01日

あけましておめでとうございます!

昨日は僕にとって初「君が代」、心をこめて歌わせて頂きました。今年も意欲的な企画、魅力あふれる試みを次から次へと打ち出してゆこうと思います。楽しみに待っていてください!

2009年12月30日

楽しみな仕事舞い込む!

歌うことが僕は大好きだから普段から楽しんで舞台を踏んでいるが、急遽別の意味でもっと楽しい仕事が舞い込んできた。なんと格闘技関係!K-1ダイナマイトでの国歌歌唱である。吉田ー石井戦の前に歌わせていただく事になった。「君が代」を人の前で歌わせて頂くことは名誉であるし責任重大の事である。今日は日枝神社にも御参りにも行ってきた。準備万端で望みたい。

2009年12月22日

椿姫とクリスマス

鈴木忠志演出・椿姫とサントリークリスマスコンサート終わりました。たくさんの方のご来場有難うございます。椿姫はいろいろな意味でかってない体験でした。すべてのことが新鮮で、改めて鈴木先生の「凄さ」を感じました。クリスマスコンサートは大変盛り上がりました。その後のパーティも一人ひとりの方と直接お話しすることができて実に楽しかったです。スカレーラも大変満足していらしたご様子、「また日本でツアーをやろうね」と残しイタリアに出発しました。年内は後2つ、がんばります。ブログの更新もね!

2009年11月28日

静岡だより

まったく更新できてなくてごめんなさい。2週間前から静岡に入り、「椿姫」のことばかり考えています。今回見に来られる方は、今までにまったく体験したことの無い「椿姫」に出会うことができます。演出鈴木忠志さんの意図を僕らがきちんとお伝えすることさえできれば、信じられないほど美しい舞台を見ていただくことができます。中丸さん・堀内さんと共演させていただき、充実した幸せな毎日をおくっています。富士山も実にきれいに僕らを見守ってくれているようです。

2009年11月16日

京都は未だ

御世話になっている方の結婚式のため京都に来ています。びわ湖ホールのコンサートの次の日京都を訪れ、「未だ赤くなっていないね」と残念に思いつつも大原三千院の庭の美しさに浸った数週間前。もう今は世のなかまっかっかなんだろうと期待して来ましたがまだその時は来ていないようです。昨日は先斗町入り口の小さなお店で美味しいおばんざいを頂き気分はたっぷり京都に浸りました。これから静岡入り、「椿姫」の稽古が始まります。

2009年11月15日

毎日やっていること

12月11・13日にむけての椿姫の練習のためもうぼろぼろになり見慣れた楽譜を毎日眺めている。隅々まで知り尽くしているはずなのに、見るたびにまるで新しい出来事が書き込まれたような発見の連続である。いかにあさはかな理解でわかったような気でいたか、改めて恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。舞台芸術は年齢とともに成長してゆく、変化してゆくというが、それは演奏者の人間の内面が変化し、感受性が豊かになっていっている証拠ではないかと思う。引き出しが増えて、いくつもの方向から物事を眺めることに違和感を感じなくなっているということか。ただそれゆえに、本当の「本質」を見失ったりしてはいないか、ちょっと不安に思うことがある。真実とは何であろうか。

2009年10月29日

心の故郷

中学の時の恩師・小林雅彦先生に依頼を受けて、3年連続で松本市の中学校でレクチャーコンサートをさせて頂いている。子供達のきらきらと輝く瞳と先生方のコンサートを成功させようという熱意があいまって本当に心地良い時間を過ごさせて頂いた。それが3年間全くぶれないというのが凄いな、と思う。じつは松本市は僕の心の故郷のようなものだ。幾つかのインタビューやコンサートなどで明かしているが、僕は心臓の手術を体験している。その病院がここ松本にあったのだ。まさに多感な少年時代、病気という目に見えない(自覚症状と呼ばれるものは全く無かった)不安を心の片隅に置きながら、縄手通りや伊勢町通りをなぜかほんの少し開放感を持って歩いたものだった。昨日も同じ道のりを歩いてみたくて昔の町並みを探してみたが、実に30年前の出来事である。縄手通りはむかしのままであるが、伊勢町通りはまったく別のものであった。散々歩いてみたがピンと来ない。帰らなくてはと思った時、パルコの近く、蔵の壁が目立つ小路の前を通りかかったとき僕の中の記憶がはじけた。道は新しいが、道幅があの時と一緒なのである。そういえばこの骨董品やさんやお皿やさんがあったな、と感じた瞬間記憶が繋がり、あの頃の思いが溢れ出てきた。いわゆる闘病中、僕の思い出は苦しさではなかった。家族や親戚、友人や慮ってくれる知り合い達に愛されて、幸せな日々だったのだ。あの頃はよく分からなかったけれど今思うと心がものすごく温かくなる。松本は、帰るべき町だったのだ。